永遠という言葉を思いついたやつと仲良くはなれない

 

 元サークルメンバーで宅飲みしていた先輩の家を眠いとかいう理由で離脱し、家に帰ってシャワーを浴びて目が冴えたのでこの文章を書いている。
 もし友人達がこれを読んでいるとしたら、こんな後で読み返して後悔するような謎ポエムを書くくらいなら、どう考えても帰らないで餃子でも焼いてたら良かっただろと思うに違いない。いや、本当にそうなのだ。でも信じて欲しい。私は本気で帰って寝るつもりだった。そう出来なかったのは多分先輩が留学に行くからである。

 先輩が一年ほど留学に行くんですよ。

 その先輩は前々から世話になっていた先輩で、当然ながら影響も受けたし、その先輩自体が(本人は絶対否定するだろうけど)かなりの人格者なので、単純な話をすれば大好きな先輩だった。まあそんな先輩と一年も離れるっていうのが本当に寂しい。
 それで、今日は何やかんやあり、都合があったサークルのメンバーと飲み会をして、みんなで餃子を焼いたりした。餃子って包むだけでエンターテインメントになるから素晴らしい。普段は引きこもって小説を書くだけの日々なので、こういう集まりが得難いな、と思いながら執拗にヒダを作って餃子を焼いた。
 で、手作り餃子を食べた後は冷凍の餃子を素朴に食べようということになり、自分達が作ったものより幾分か形のしっかりした餃子をホットプレートに並べて蓋をしたところで、そこからずっと感傷に囚われている。
 いや、本当に訳がわからないんだけど、あの均整の取れた餃子の並び。あれが一番駄目だった。何せ形が綺麗だから。完璧に見えてしまうのがよくなかった。そう、完璧に見えたんですよね。あの瞬間が。

 サークルの友人が好きだ。まあサークルの性質上自然発生的に先輩も後輩も同期も居て、そのどれもが割と大事だ。今回留学に行ってしまう先輩もそうなんだけれど、本当に得難いと思っている。
 私はあまり社交的な人間じゃないので担当編集氏に心配されるくらい友人が少ない。そんな中でまあこれは衒いなく友人……と呼べるのがこのコミュニティーくらいで、井の中しか知らない蛙が往々にしてそうであるように、こんなに奇矯な人間が集まるのはここだけなんじゃないかと自らの庭の芝生を真っ青に染めている次第である。そんなの、まあ大切にしちゃうんですよね。大切にするって言っても私がこの中ですることとか特には無く、ただ大切だな、と思っているだけなんですけど。

 だから、感傷に負けてしまって駄目だった。あの餃子を焼いた瞬間に、これ永遠じゃないのか、と思って悲しかった。よりによって冷凍の餃子でこんな感傷に浸りたくなかったので、もう少し不揃いであってくれればよかった。


 カート・コバーン氏の遺書に「きっと全てを失ったときに初めてそのありがたみが分る世界一のナルシストなんだ。」という一文があり、私は折に触れてそれを思い返している。対する自分は、最高の瞬間を味わう度にそれが失われることを想像してしまい、餃子が焼けるのすら楽しめない。

 要するに私は永遠コンプレックスなのだ。

 いや本当に、今日ここでいいのかよと思ったし、あの場に居た人間には嘘だろと思われるかもしれないけれど、私はあの場が永遠じゃないことに驚いてしまった。

 昔から定期的に開催されるものが恐ろしかった。定期的に行われる演奏会と聞いただけで、それが終わるところを考えてしまう。だってほら、永遠に催され続ける演奏会とか、多分無いじゃないですか。永遠に催され続ける演奏会を観測出来る人間はいないから。毎年決まった季節に行く旅行とかも、いつか行かなくなる日を考えてしまう。

 つまりは何か幸福なことがあると、これ、永遠じゃないのか、って思ってしまうんだよな。永遠という概念があるから、どこかそれを追い求めてしまう節がある。本当に、永遠という言葉を考え出した奴とは仲良くなれない。そんな訳の分からないユートピアを設定してんじゃねえよ。天竺はインドなんだから永遠も何処か目的地を用意しておいてくれよ。

 永遠であって欲しいと思った時から感傷は忍び寄ってくるんですよね。いつか私達は定期的に会うことも無くなり、私は今日の思い出をマイルストーンか何かのように打ち込んで、折に触れて振り返ることになるのかもしれない。そんなの本当に嫌なんですよ。ハンドスピナーで五年は遊びたい。遊びたかった。もう遊んでない。いつかこんな物凄く最高な人間関係ですらハンドスピナーの箱に入れることになるとは思いたくないんだよ。これは未来の私に言っている。絶対入れないでほしい。

 サークルの友人たちが好きだ。永遠に一緒に居て欲しい。ここの一文が多分無理なんだ。条件に存在しないものを代入してしまうから。

 泥酔した私がみんなに「変わらないでくれ」と言ったって多分人間変わるし、いつかこの激情も忘れてしまう日が来るだろうな。私は忘れっぽいし時間は無慈悲だし、死んだ恋人をずっと同じ熱で愛し続けるのは難しいし、手元のスマートフォンは一年前のパワーワードを予測変換から弾き出す。
 なんだかんだ言って先輩は留学に行く(いや、留学には行った方が良い)寂しいとか永遠に傍にいてくれとか喚いてもみんな人生をやっていく。また永遠ってワードが自分達を置き去りにするよ。こういうこと言うと滅茶苦茶良い奴な後輩が「私は永遠に斜線堂さんと遊びますよ」とか言ってくれちゃうんだよな。本当か? 五十年先でもワードウルフで笑ってくれる?

 でもまあ、永遠って言葉を作った奴を赦せないってことだけは一生忘れないと思うんですよ。きっとみんなで集まって餃子を焼くこともなくなって、私がそれを悲しくも思わなくなって、餃子を一人で食べて満足するようになっても、永遠って言葉を開発した奴への愛憎は、多分忘れないものなんだよな。

 そういう話です。

 

2019年上半期に書いたものについて語る


 修羅場だな、と思っていたら既に2019年が半分終わってしまっていた。衝撃だった。ここ半年はありがたいことに絶え間なく何かしらの依頼があり、忙しくさせて頂いた。本当にありがとうございます。これらの全ては読者の皆さんがこの二年間しっかり推してくださったからであり、何と御礼を申し上げていいか分かりません。これからも精進致しますので、何卒よろしくお願いいたします。
 この感謝の気持ちってどう表現したらいいか分からないな、何しろ人間の感情って証明出来ないのだから、という焦燥から生まれたのが「夏の終わりに君が死んだら完璧だったから」なので、7月25日は何卒よろしくお願いいたします。発売されたらこれもあれこれ言おうと思うのですが、色々な思いを詰めました。それにしても、かつてあんなにお金の話ばかりしている青春小説があっただろうか、みたいな話になりました。お金は人を狂わせるので仕方がない。
 というわけで、忘れない内に手帳に書き留めておいた脱法小説などのあとがきを載せておく。口調やトーンが違うのは、その時々のメモを参照している為です。

■2019年上半期あとがき

「奉神軍紀
 何故か年初めにやったのが集英社ヤングジャンプで漫画原作という色々と跳ねた仕事だった。小説家として仕事をしていたところに漫画原作の依頼を頂き、異例のスピードで読み切り掲載が決まった数奇な作品。これやあれやが重なり、2018年末はスケジュールが死んでいたのだが、無事に出来た。今回の作品はまず忠介というキャラクターが先にあり、このキャラクターを軸に脚本を書くという形だったので、色々と大変だった。あとは時代背景を調べるのに尋常じゃなく手間を掛け、参考文献が20冊を優に超えている。これの台詞を細々と直しながら「夏の終わりに~」の初稿を書いていたので、感情が凄いことになっていた。
 この経験は本当にいい経験になった。というのも漫画の文法というのを初めて知ったのだ。私の小説を読んで「斜線堂有紀に原作をやらせてみたい」と思ってくれた編集者の皆さんには感謝しかないのだが、如何せん漫画には漫画の文法がある……というのを知った仕事だった。私の小説は地の文も台詞もとにかく長いので、ネームでゴリゴリ台詞を直す作業が必要だったのだ。小説ならいくらでも喋れるけれど、漫画はサクッと必要なことを、しかも効果的にかっこよく言わなければいけない。52Pという初めての仕事で取り組むにはあり得ないページ数のボリューム感の把握などにも骨が折れた。作画担当の石黒先生には大変迷惑を掛けたものの、終わってみれば楽しかった。
 何よりヤングジャンプは読者としてずっと読んでいた雑誌なので、それに自分の作品が載るというのはなかなか感慨深かった。「嘘喰い」や「ゴールデンカムイ」で情緒を育んできたので、本当はじんわり泣きそうな気分だった。このような機会が与えられて嬉しい。
 これをきっかけに集英社さんにディープに関わっていくことになったので、色々と楽しみですね。その所為で今なおスケジュールが大変なことになっているのだけど、身体を壊さない程度に頑張りたい。

「僕は本山らのに恋をする」
 本山らのちゃんが好きなので夢小説を書こうと思ったら自分が死刑囚になってしまった。
 テーマはキュレーションだったのですが、少し迂遠な仕上がりになりました。『自分の作ったAIが作ったAIが殺人を犯してしまったことで死刑囚になる』という自分と距離のあるものの責任の話。あるいは『自分が書いたものではない物語にある種の責任を持ち光を当てる』本山らのちゃんの話。実際的な距離があるものに自分の名前を冠してふれあうのは愛だよな、キュレーターであるらのちゃんは愛の使徒なんだよな、という話です。
 人間は物語である、というのもずっと支柱にあるテーマであり、この物語の本山らのはそれを告げる立場ですが、そんな彼女も素敵な物語。だからこそこのアンソロジーが編まれたのだ……。
 こちらのアンソロジーは通販やらのちゃんフェアをしているアニメイトで入手出来るようなので、是非ともお手に取って頂けると幸いです。

「煉獄の変奏、あるいは一切の希望を捨てよ」
 人生は如何様にも転ぶな、というが頭の中にあるので、こういったパラレルワールドを考えるのが本当に好きである。うっかり人生がバッドエンドに転んでしまった瀬越俊月の物語。それでも人生は続く。歴代で一、二を争うほど俊月を書くのが楽しいので、いくらでもその人生について考えてしまうキャラクター。カニバリズム描写を描く為に肉料理のレシピ本を大量に買い込んだ。
 鞠端のような何も大義の無いクズを書くのもあまり例が無かったので、その点でも楽しかった物語。それ以外は結構辛い気持ちで書いた。俊月のことを真面目に考え過ぎた。
 テーマは同一化。追想を重ねていった結果、理解しえなかった彼岸に立つ怖さのようなものを考えていて、好きな人が脳内に居れば侵食が始まるという話。小鳩がそれっぽい理屈で俊月を誑かしていましたが、あれは詭弁ではなく小鳩の信じる真理で、地獄への道は理屈で舗装されている。それでもその手を取らなかったのは、本物の小鳩が地獄から止めたのかもしれない。イマジナリーの自分に取られるのも癪に障るので。
 ちなみに小鳩と決別する為にイマジナリー小鳩にやってもらったとある行動──本物の小鳩が絶対にやらないこと、には最初はちゃんと描写があった。具体的に言うなら、あそこでイマジナリー小鳩が自分の目を抉る描写があった。
小鳩はその目に映るものの殆ど全てを愛しているので、恐らくこれが一番やらないことだ……と思って書いたのだけれど、書き終わって気づいた。これは俊月が見ている幻覚なのだ。俊月は幻覚だろうが何だろうが小鳩が傷つくところを望まないので、イマジナリー小鳩にそんなことをさせるはずがない。小鳩も絶対にしないだろうが、俊月も絶対にさせない。
そういうわけで、この描写も没になった。あの任意の行動の中身は『小鳩は絶対にやらないだろうが、なおかつ俊月が望むもの』という面倒な縛りがつくこととなった。
 これも色々とあてはまるものがあると思うのだが、結局のところその後に言う「死んじゃってごめんね」以上にありえないことも求めることもないのだと思う。
 俊月関連は大体語り終えたのだけど、とにかく彼のキャラクターに入れ込んでしまったので、これからどうなるのかは分からない。

「嗜好審美研究会の頑張り部室争奪録」
 語るのが一番難しい……というより、これはキャラクターを固める為に、とある長編の前日譚を書こうという試みだった。ラストに異常に不穏な文言があるのはその為。テーマはお前の所為で人生滅茶苦茶だよ、のアッパーなパターン。共に栄華を極めたその後、雪を見に行くの文言と共に失踪される。いつか出るかもしれない後日譚での関係性の狂いっぷりを楽しんで頂けると頂けると幸いです。
 ミステリー的なテーマは主人公が詐欺師というか犯人側。これでどんでん返しをやろうという縛りを入れている。


 「狐神計画」

半年前からのろのろと書いていたもので、とあるVtuberにドハマりした結果出来た本格SF。何だか情緒が実った気分。ある意味わたまでと同テーマを扱っている。神性は何処に宿るのか、文化はいつ終わるのかの話。のじゃろりを書くのが好きだなと思ったのですが、ニテ様のようなキャラクターじゃないと書くのが難しい……!


 この半年こつこつと作業をしていたことが下半期で世に出るので、楽しんで頂ければ幸いです。多分どれも作風やジャンルが違うので、どれかを楽しんで頂ければ嬉しい。どれをも楽しんで頂けたら嬉しい。7月も頑張ります。本当に皆さん、半年間お世話になりました。

「特に旅行する気も無いのに空港に行くことで名探偵と対決する」を語る


 最近ミステリー小説を書いている。ミステリーとは謎がある物語である。ミステリーというジャンルは物凄く懐が広いので、謎が無くてもミステリーだったりするのだが、往々にして謎がある。そして、謎がある物語には大抵の場合「推理」がある。


 この推理、問題はこの推理だ。この推理ってやつは、僅かな手がかりから様々な真相を明らかにするのだ。名探偵なんかはこれで相手の心のやわいところをボロボロ突いている。シャーロック・ホームズなんかもこれで論理の地獄車を回している。私はミステリーを書くにあたって、物語に伏線を敷き、手がかりを撒き、登場人物が推理を出来るように構成を行っている。
 しかし、部屋で一人、論理のマニ車を回していると脳がゆっくりと溶けていくのだ。

 

 このままではいけない。人間の行動を推理してはならない。論理を組み立てて人を分析してはならない。思い出を考古学の領域に明け渡してはいけない。人間の精神を貝塚のように掘ってはいけない。

 なので私は、空港に来た。

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 空港に来た。

 

f:id:syasendou:20190417171713j:image  このガチャガチャ有名だよね。


 別に旅行の予定があるわけじゃない。崖際に建っている家で日がな小説を書いている人間が思い立ってトリップするはずがない。でも来てやった。誰もが何かしらの目的を持っていそうな、この目的の海に。だが、私は完全にノープランだ。

 

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 搭乗便をチェックする。私の乗るべき飛行機は無い。何故なら搭乗券を買っていないからだ。

 

 限界まで荷物を少なくして来たので、私は身軽だった。空港に居る人間の中で受付の人の次くらいに軽やかだった。道行く人が大きなキャリーケースを引いていても、私には関係が無い。機動力が違う。こうして隣を歩いていると、同じ空港に来ている人間とは思えないな、と思う。彼らと私の大きな違いは、旅行に行くか行かないか、その一点だけなのに。

 

 空港に来てみて分かったのだが、空港は意外と暇を潰せる。まあみんな飛行機を待たなくちゃいけないので、当然だ。カフェも大きくて空いているし快適である。初めて知ったのだが、空港のカプセルホテルでは仮眠プランもあるのだ。空港に来て本気でやることが無いときは仮眠をしてしまうのもいいかもしれない。もうお気づきかもしれないが、飛行機を予約しなければ飛行機の時間も気にしなくていい。

 

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 ご飯処できつねうどんを食べてから搭乗便を確認する。
 私の乗る飛行機が無い。いつか出現するんじゃないかというワクワク感がある。

 

 さて、私は一体今何をしているのか?

 

 当然ながらミステリーの文脈を破壊しているのである。

 名探偵は多分、私が空港にいる理由を推理出来ない。極限まで情報は削った。だが、意味ありげに時計はちらちら見ている。空港の書店にて、いかにも飛行機で読みそうな分厚い本まで買った。
 名探偵は多分、私を物凄く身軽な旅行者か、さもなくば誰かを見送ったり迎えに来たりした人間だろうと思う。馬鹿だな、そこには誰も居ないよ。

 私は旅行にも行かない。誰かと待ち合わせもしない。宇宙から戻った人間が重力に身体を慣らしていくように、ミステリーを書いた分だけ不合理に身体を慣らしているのだ。……と、ここまで書いて、これだとこれはこれで狂人の論理によるミステリーだ!! になってしまったので、一旦それも否定する。私は無目的で空港に存在しなくてはいけないのであり、いやでもこれも無目的で空港に存在する目的になっていないだろうか? もう駄目だ、この世界は意味と理由に囲まれている。

 

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  この世界には意味があるので、突然私の乗るべき飛行機が出現することはない。

 

 とにかく、私は架空の名探偵に戦いを挑んでいる。もしかするとこの空港に居る数千人の中に一人くらいが「あの人旅行行くのにやたら軽装だな」と思ってくれたかもしれない。だとすれば私はほんの一瞬、ほんの一瞬だけ意味に勝ったのだ。この結論自体が「意味」に敗北した結末だったとしても。

 ところで、今執筆しているミステリー小説、〆切は九日後である。いや、貴重な一日を空港で過ごしたので実質八日後である。そこで薄々私はこれに現実逃避の意味を与えてしまうわけで、誰かここから出して欲しい。

 このブログ書いてたら〆切が七日後になった。嘘だろ。

 

 

無限に増えていくチンジャオロースと愛を語る


 食べるのが好きだ。人生は大変なことが多いので、ご飯を食べている時だけが幸せな時と言っていい。人生なんて爪を剥がされながらたい焼きを食べているようなものだ。(これはたい焼きがとても好きなことを示す文章です)

 

 まだ大学に通っていた頃、某所でアルバイトをしていた。
 朝九時から午後六時までのシフトだったので、丁度お昼ご飯の時間に休憩を挟むスケジュールだった。食べるのが好きだったので、私は休憩時間にはかならず何処かのお店に入って食事を取っていた。(プリパラに異常にハマっていた時期やブレイブルーに異常にハマっていた時期は休憩時間中ずっとゲーセンに走っていたので食事を抜いていた)

 

 その当時、私にはお気に入りの中華料理屋さんがあった。小さいお店だったが店員さんが明るく、何よりチンジャオロースが物凄く美味しかったのである。シャキシャキとした野菜、適度に濃い味付け、とろりとした豚肉……。うっかり笑顔になるような代物だった。おまけにチンジャオロース定食は安かった。学生にとっても優しい値段だ。

 

 私は気に入ったポケモンだけを集中して育てるような人間だった為、次の日もそのお店に行った。チンジャオロースは二日連続で食べても美味しかった。私には「美味しいものを食べると笑顔になる」という絵本の登場人物みたいな特徴があるので、にこにことチンジャオロースを食べていた。
 その時だった。女将さんが店の奥から出てきて私に話しかけてきたのだ。
「随分美味しそうに食べるねえ」
「いやあ、ここのチンジャオロース、凄く美味しいので!」
 そんな会話だけでその日は終わった。会計をしてバイトに戻る。


 変化があったのは翌週のことだった。一週間ぶりに店に行くと、チンジャオロースが多めに盛られてきたのだ。

 素直に嬉しかったのを覚えている。銀色の細い皿にこんもり盛られたチンジャオロースを見て笑う私に、女将さんは「こういうところでねえ、精を付けんといかんよ」と言った。どうやら野良犬のような風情の私を見て、栄養が足りていないように見えたらしい。実際その通りなのでありがたく頂いた。帰りがけに何度もお礼を言った。

 

 あれ? と思ったのは来店回数が五回を数えた辺りの話だった。
 気づけばチンジャオロースは山盛り、というよりオムライスに近い形になってきていた。銀色の細い皿が殆ど見えない。その頼りない玉座の上でチンジャオロースは悠然と私を待っていた。
 女将さんは笑顔で私のことを見ていた。愛を……感じる……。冷や汗を流しつつ、箸を差し入れる。殆どご飯と同量のチンジャオロースを食べるのは、いくら美味しくても苦行だった。私はそんなに沢山食べられる人間でもないのだ。
 それでも食べないわけにはいかなかった。目の前を白く染めながら、どうにか完食したのを覚えている。けれど、私は思った。もうこれ以上は無い。だって皿が見えない。ここまできたらもう白米の上に追いチンジャーをするしかないが、流石にそれはないだろう。女将さんの愛も物理には敵わないわけだ。

 

 ともあれ、それから一月ほどそのお店には行かなかった。別にチンジャオロースが嫌いになったわけじゃないが、流石に……こう……胃が……になったのである。

 

 それでも一月経てば、あの店のチンジャオロースが食べたくなった。あの量を思い出して若干尻込みしたものの、朝食を抜いていけばどうにかなると思った。傾向と対策だ。私は朝食を抜き、バイトをし、思う存分お腹を減らして意気揚々と店に行った。女将さんは「久しぶりねえ、忙しかった?」と言ってくれた。私は以前のようにチンジャオロースを頼み、オムライス型のチンジャオロースを倒すイメトレをし、『時』を待った。
 ややあって、女将さんがチンジャオロースを持ってきてくれた。


 皿が変わっていた。


 銀色の細い皿ではなく、白い陶器の丸い皿に変わっていた。
 油断していた。皿に盛れる量には限界がある。だから、あれ以上は無いと思っていた。愛は物理を超えられないと思っていた。けれど、そんなことはなかった。愛情の受け皿は増築され、チンジャオロースは元の三倍近くになっていた。もう食べられるとか食べられないとかそういう問題じゃないと思った。
 私はそれの三分の二を食べた辺りでギブアップし、会計時に女将さんに謝ってから逃げるように去って行った。

 敗走しながら思った。もうここには来られない。あれだけ美味しいチンジャオロースなのに、もう食べられない。別に自分が悪かったとは思わない。当然ながら女将さんも何も悪くない。むしろ、あんなによくしてくれた人はいなかった。でも、もう駄目だった。一体、何を間違えたんだろう?

 

 愛はたまに悲劇を生む。

 けれど、悲劇はそこで終わらなかった。人間が愛を求める限り、悲劇の幕は上がり続けるのだ。その舞台が、新たに出来た行きつけ、海鮮丼屋さんである。

 その店もまた、バイト先からほど近い小さなお店だった。店内の雰囲気も良く、店主さんは優しそうで、なおかつそこにはワンコインで食べられるワンコイン海鮮丼があった。どういう仕組みになっているのか分からないが、三種類の具材の載った海鮮丼が500円で食べられるのだ。私は海鮮が好きだ。北海道も好きだ。
 海老とマグロとサーモンの載った丼を前にして、私はまたしても笑顔になった。わさびをどかしながら(※この年になってもわさびが食べられないので、誰かわさびが大丈夫になる魔法の薬の情報をください)、笑顔で丼を食べていると、店主さんのお爺さんが私に話しかけてきた。


「やあ、美味しそうに食べるねえ」
「海鮮丼素晴らしすぎます、最高に美味しいです」

 デジャヴュを感じた。けれどここで「ガッデム!!!!!ほっといてくれ!!!!!」と言ったら出禁になってしまう。そのくらいはわかる。出来ればそんなことは言いたくない。店主さんは優しそうな人だし、何より500円丼を失いたくない。
 デジャヴュの影を無視して、翌週もそのお店に行った。店主さんは嬉しそうに私を出迎えてくれ、私はワンコイン丼を注文した。程なくして丼が来た。

 丼の具が4種類になっていた。おかしい、ワンコイン丼は三色丼のはずだ。店主さんの方を見たら、こっちを見て笑っていた。会釈をして食べ始める。美味しかった。多分、ちょっとしたサービスのつもりだったんだろう。私は会計の時にお礼を言って、店主さんの「また来てね」の言葉に笑顔で手を振った。

 次に来た時には、ワンコイン丼の具は五種類になり、その次の来店時にはイクラまで載るようになっていた。「あの、これ、中身が豪華になっているような……」と恐る恐る言ってみると「余ったの載せただけだから気にしないで!今日だけ!」と言われてしまった。
 まずい流れになってきたな、と思った。けれど、これは店主さんの愛だった。「気にしないで食べてって!」と言われると、残すのも悪い気がした。
 この時点でその店に行く頻度は格段に減っていたが、そうすると輪をかけて中身が豪華になり、カニ汁まで付くようになっていった。最早セットメニューだった。
カニ汁の分お支払いしますから!」と流石に言ったものの「今日は余ってるから」と言われればどうしようもなかった。会計はいつまでも500円のままだった。いよいよ店に行きづらくなり、それから三ヵ月ほど、その店に行くのをやめた。

 それでも食欲には勝てない。そこのお店は海鮮も勿論だが、丼の中に入っている沢庵が物凄く美味しいお店だった。他の場所でも海鮮は食べられるが、沢庵の再現は難しかった。それに、これだけ間が空いていればいいだろうという気にもなった。
 店主さんは笑顔で私を迎えてくれて「いやあ、心配してたよ。最近忙しかったの?」と尋ねてきた。適当に誤魔化しながら、ワンコイン丼を頼む。

 

 運ばれてきたのは、豪華な具の入った丼と、普通の味噌汁だった。

カニ汁、今日少なくて、普通の味噌汁でごめんね」

 店主さんが心底申し訳なさそうにそう言った。その日はお客さんが多くて、カニ汁が多く出たようなのだ。無料で私に出せるだけのカニ汁が無かったようなのだ。
 その瞬間、もう駄目だ、と思った。申し訳なさそうに言われたその言葉が致命的だった。本来つかないはずのカニ汁をサービスで貰っていたのに、それが今更普通の味噌汁に変わったところで、どうしてそんなに申し訳なさそうな顔をするのだろう。

 もう駄目だと思った。会計の時に、私は言う。

「大学卒業するので、もうここに来られなくなるかもしれないんです」
「ええ、そうなの? 寂しくなるね」
「今までありがとうございました。美味しかったです」

 店主さんは頑張れと何度も言ってくれて、最後に握手をして別れた。別に大学を卒業するからといってここに来られなくなるわけじゃなかった。そもそもその時には既に単位不足で留年が決まっていた。けれど、その日以来そのお店には行っていない。たまにそのお店を横切る時、もう覚えていないだろう、いやまだ覚えていてくれるはずだ、と勝手な感傷を覚える。けれど、それだけだ。

 

 ところで、私はその店主さんがそれはもう好きだったのである。


 急に何故こんなことを思い出したかというと、最近行きつけのカフェが出来たからで、そこのホットサンドが物凄く美味しいからで、そこの店主さんが、ホットサンドを頼むとサービスで小さなコーヒーゼリーを出してくれるようになったからで、全ては愛で回っている。



1000円自販機(高級カレー編)を語る

 

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 私はもう何も知らない子猫(キティ)ではないので、手の中の1000円がPS Vitaや3DSに変わるなんてことはそうそう無いと知っている。マジカル自販機による錬金術が発動することは殆ど無い。チュパカブラと遭遇するくらいの確率だ。私はもうそんなものに夢を見られない。

 だが、そんな私の前にこれが現れた。

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  い、いけそう〜!!! カレーなら選べそう!!

 

 このリアリティーラインに、私はいたく感動した。1000円はPS vitaにはならなそうだが、カレーにはなりそうである。だってカレーだから! ドリーミーラインとしてはかなり適切である。それに、カレーは食べられる。20日分のQOLが手に入るのだ。

 

 私は隣に居る親友に回していいかを尋ねた。そんなの好きにすればいいのだが、崖に向かって走る時は誰かの「頑張れ」が欲しい。回していいよ、との言葉と共に私は回した。カレーが当たったら友人と半分こしようと思った。ご当地カレーと聞いたので、東日本を友人が、西日本を私が食べようと思った。

 

そして出たのがこれ。

 

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 値札を免罪符にするんじゃない。

 私は親友とカレーを分け合いたかった。カレーの食べ比べ会を開いて「まあカレーって何でも美味しいよね〜」という予定調和的な結論を出したかった。

 カレーが食べたかった。 

 

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 回る。

 

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 自棄になったので、この知恵の輪が解けなければミステリーを書くのを止めるぞ! と喚きながらガチャガチャガチャガチャやり続けた。こんなものに人生を賭けるんじゃない。

 

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 解けた。断筆しなくて済んだ。

 

 私はもう何も知らない子鹿(リトル・ディアー)ではない。1000円で3DSが手に入るとは思わない。1000円自販機は賢者の石ではない。

 でも、カレーの絶妙さ加減は……隣に居る友人とカレーを食べるというドリーミーラインは……ハンドスピナーは……知恵の輪は……。

 

 

生ハムの原木を食べる会を語る

 

 コンビニで生ハムのパック(45g)を買った時、私はとても幸せだった。生ハムは美味しくて口当たりが良くて、ついでに生だからだ。生ハムが好きな理由にその名前がある。私は生きているものが好きなのだ。
 ところで、これを見て欲しい。

https://www.amazon.co.jp/dp/B076H3416P/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mdsGBbFFZ82NH
 生ハムの原木だ。なんと4kgある。約4000gだ。物凄くざっくり計算すると、私がコンビニで買っている生ハムの88.8888889倍ある。つまり、私は生ハム原木を買うと普段の88.8888889倍幸せになれることになる。ということで、生ハムの原木が食べたくなった。私は幸せが好きなのだ。

 ここでは生ハムの原木を買って生ハム原木会をやるにあたっての覚書を書いていこうと思う。

 早速知り合いという知り合いに声をかけ「生ハム原木会」をやろうと唆し、Amazonで生ハム原木を買うと、原木会をやらせてくれる仁義を重んじてそうな先輩の家に送った。ゲラを読みながらLINEを閉じたり開いたりしていると、到着の報告があった。この時点で幸せメーターは振り切れていた。
 これが先輩の撮ってくれた生ハムの写真だ。

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 大きい。バドミントンラケットよりも大きく重いので、人を殺すことも可能である。*1。これはミステリー作家としてとりあえず触れておいただけなので、別に私がすぐに殺意を連想する人間というわけではない。この状態のまま、生ハムを室温に慣らす為に放置する必要がある。本当は3日くらいこうしておくといいらしいのだが、生ハムが届いた日が会の1日前だったので、1日だけの放置にした。LINEで先輩にお願いをしていると「遠隔で爆弾解体してる人の気分だ」とのお言葉を頂いた。確かに、真っ昼間に送られてくる肉塊は爆弾に等しいだろうし、真っ昼間から生ハムを受け取らせる後輩は地雷だ。間違っていない。

 そして、1日の放置を経て、生ハム原木会だ。
 まずはビニールを剥いて、カビに覆われている生ハムをオリーブオイルのついたキッチンペーパーでゴシゴシ磨いていく。必要な工程なのだが、正直4kgの肉塊を磨くのは並大抵のことでなく、この時点で生ハム原木の過酷さに気が付いてしまった。力を入れてゴシゴシ磨いていると手伝ってくれている友人がグロッキーになっていた。肉塊を前にすると、心が壊れてしまうのかもしれない。私は可愛い子犬を拭いているイメージで脳を騙した*2ので、どうにかやり遂げることが出来た。

 そうして磨きあがった生ハム原木がこれだ。

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 なかなかいい具合だ。
 ちなみに、この時はテンションが上がって気が付かなかったのだが、これは置き方を完全に間違えている。冷静に考えたらバランスが悪すぎるのだが、人生のバランスもぶっ壊れているので、物事を冷静に見られないのだ。この状態でナイフを入れたらどう見ても転覆するだろ。
 正しくはこうなる。クジラみたいでいいですね。

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 ともあれ、生ハムが磨き終わったら、あとは食べるだけだ。
 今回の生ハム原木会には10人の精鋭が集まった。これならイカした渋谷区のパーティーっぽくなるはずである。期待に胸が躍る。以前、宅飲み会に4kgのそうめんを持ち込んだ時にはブーイングを食らったものだが、4kgの肉塊の時はみんながはしゃいでいた。小麦粉には無いグルーヴが肉塊にはある! 私達は喜び勇んで生ハム原木にナイフを入れた。
 だが、そこで誤算に気づいた。

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 生ハム原木は固いのだ。
 喜び勇んでナイフを手に取ったものの、正直全く削れなかった。

 作業を見ていた先輩の一人が「生ハム原木って響きはお洒落なのに原木見るとマジで蛮族」と言っていたのだが、本当にそうなのだ。相手は肉塊であり、18か月も吊るされていたハングドミートである。原木が似合うのは山賊くらいのものだろう。
 私は山賊ではなかった。生まれは海の方だった。
 普段は小説を書くかソシャゲをするかしかしていない人間である。そんな人間が人を殺せるだけの硬さの生ハムを削り取れるはずがない。私は殆ど日光に当たらない上に外にも出ないので、どちらかといえば立場が生ハムに近い。(生ハムは日の当たらない蔵に吊るして作られる)
 文字通り歯が立たない有様だったので、原木には「生ハムが生ハムを食べようなんて片腹痛いわ(笑)」と思われていたかもしれない。赦さない。原木は足だけなので腹は無い。二重に赦せない。

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 とはいえ、非力な私が出来ることはあまりなく、結局は滅茶苦茶料理の上手い先輩が生ハムを削いでいくこととなった。手際が良いので、生ハム原木が征服されていく様が写真からも見て取れる。ここで重要なことが分かるのだが生ハム原木は料理が上手く力もある人間でないと手を出せない代物なのだ。あなたがもしブルース・ウィリスチャック・ノリスでないならば、身体を鍛えないといけないかもしれない。

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 ともあれ、完全な他力本願で出来た生ハムは色つやがよく、とても美味しかった。市販のものよりもやや硬く、塩味が強いのだが、とにかく美味しい。原木を買って食べる一番の良さというのは恐らくここにある。ある程度の厚みと硬さがある生ハムを食べる機会はなかなか無いからだ。原木から切り出した生ハムはジャーキーのような弾力があり、塩味が濃いが仄かに肉の甘みがする。みんなで持ち寄ったメロン無花果パンチーズと一緒に食べると信じられないくらい美味しかった。
 生ハムを切り出している時は山賊かもしれないが、みんなで食べ始めるとそこは渋谷区のパーティーであった。クラッカーとミラーボールを用意していなかったことを後悔するくらいだ。
 唯一の後悔といえば、そういったラグジュアリーな場面の写真が殆ど残っていないことである。食べるのに必死だといきなり写真が面倒になる。人間なんてそんなものだ。

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 生ハムだけ食べてるとどうしても飽きてくるので、そういう時は生ハムの油と生ハム本体を使ってペペロンチーノを作るのもいい。まあ、作ったのはさっきから頑張ってくれている料理の上手い先輩なのだが、したり顔で薦めておく。ここまでくるとその先輩の料理ブログのようになっている。
 生ハム原木からは大量の固形の油が取れる。これが料理に活用出来るのだ。やったことはないので憶測で話をするが、チャーハンなんかも美味しいかもしれない。油を直接食べると、生ハム2クリック圏の油の味がする。

 会が終盤に近付いて来る頃には全員が出来上がっており、前後不覚な状態である為生ハムどころじゃなくなってきたのだが、その頃には先輩の捌きっぷりも堂に入っており、生ハムは殆ど解体された。汗を流しながら「生ハムに勝ちたい」と言っていた辺り、肉塊というのは人間の闘争本能を刺激するのかもしれない。

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 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ*3

 それで結局、生ハム原木は私に88.8888889倍の幸福を与えてくれたのか、という話なのだが、とにかく原木から生ハムを切り出す手間を考えた場合、生ハムは買った方が全然いい。今回だって、生ハムを受け取ってくれた先輩や料理をしてくれた先輩が居なければ話にならなかったというのが本音である。原木はそこにあるだけで渋谷区のパーティーピープルにしてくれるマジックアイテムではないのだ。

 だが、原木を見て蛮族だな~と言っていた先輩が終わり際に言った至言がある。それは「生ハム原木はパーティー力が強い」というものだ。
 私たちは普段、日常の文脈に沿って生きている。それをアッパーに引き上げる為には、何かしらの飛び道具が必要なのだ。そういう意味で、生ハム原木はある種の鏑矢である。
 捻りの無い言い方になってしまうけれど、肉塊を前にはしゃぎにはしゃげるというのはやっぱり値千金であって、88.8888889倍とは言わないんだけど、まあ44.444444倍くらいの幸福度はあるのだ。


 

*1:ロアルド・ダール

*2:富田流は爆笑した直後に人を殺せる

*3:大納言公任:滝の水の音が聞こえなくなってずいぶん長い年月が経てしまったが、その評判だけは世の中に流れ伝わり、今日でも聞こえ知られているよ。

タワー・オブ・テラーから逃げ続けてきた人間の半生を語る

 先日友人とその話題になったので、懺悔の気持ちを込めて書いておく。何のことはないが、考えてみれば私の人生はタワー・オブ・テラーと共にあったので、ここに記録しておきたい。これから、十年以上隠し続けてきたことを告白する。

 私はタワー・オブ・テラーに乗ったことがないのに乗った振りをして生きてきた人間である。

 これを見ているリアルでの友人は驚き慄き、私との絶縁を考えるかもしれない。騙していて申し訳ない。自分の友人はタフな人間ばかりだと思っていただろうに、その中にこんなキティちゃんが混じっていたという怒りは筆舌に尽くし難いものがあるだろう。でも、それを隠し続けてきた私も辛かったのだ。理解して欲しい。

 私は絶叫マシンが苦手だ。理由は説明しなくても分かるだろう。というかあれの恐怖を一目で分からない人間がいたら少し心配になってしまう。あれ、絶対怖いものだろ。本能で逃げ出す類のものだろ。慄いてくれ……頼む……。

 けれど、私は絶叫マシンが苦手なキティであると同時に、押しに弱い格好つけでもあった。そんな人間が「怖くてタワー・オブ・テラーに乗れない」なんて言えるはずがない。だって格好悪い。今が江戸時代でなくて良かった。あの時代に生まれていたら、私は押しの弱さとこの格好つけで切腹をさせられていただろう。刀がその辺りに無くてよかった。忠臣蔵に巻き込まれなくてよかった。

 だから私は常に「絶叫マシンなんて全く怖くありませんよ」という顔をして生きてきた。タフな振りをするのは簡単だ。そもそも社会は恐ろしいところなので、タフな振りをしていないと生きていけないからだ。

 けれど、つらっと生きていた私に試練が訪れる。長く生きていると、直接的に「タワー・オブ・テラー」の話題を振られることがあるのだ。相手にとっては雑談の範疇だし、ディズニーシーは愉快な場所の位置づけなのだろう。しかし、私にとってそこは恐ろしい戦場でしかない。

 格好つけで怖がりな上に、私は嘘も下手だった。面白いくらい嘘がつけないので、何かを言ってもすぐバレる。身体が正直なのだ。嘘を吐くと目が泳ぐって何なんだ、魚か。そんな私が目を泳がせ、声を震わせながら「タワー・オブ・テラーに乗ったことがある」と言ったらどうなるか? すぐさま嘘と見ぬかれ、精神の血祭りが始まり、弾劾裁判が始まるだろう。嘘を吐くことは出来ない。けれど、正直に自分が雑魚だということを告白したくもない。それならどうすればいいか? 解決策は一つしかない。 

 『嘘を吐かない』かつ『乗ったように見せかける』台詞の開発である。

 「タワー・オブ・テラーに乗った」と言ってしまえばそれは嘘だ。すぐバレるだろう。けれど「怖くてタワー・オブ・テラーに乗ったことがない」と言ってしまえば心の柔らかいところに刃を刺し込むことになる。だから、私は以下のような台詞で乗り切ることにした。


タワー・オブ・テラー、怖いよね」

 

 嘘を言っているわけではない。怖いからね。
 これを訳知り顔で言うだけで『乗ったことのある人』っぽくなるのだ。嘘を吐いているわけではないので、動揺が出るわけでもない。こうして素直に「怖いよね」と言ってしまうことで「素直に相手の力量を認められるタフガイ」のような貫禄が出てくるくらいだ。友人もそれで納得してくれたのか「意外と怖いよね」と言ってくれた。意外じゃないだろ。順当に怖いだろ。

 しかし、私の人生にはなおもタワー・オブ・テラーの話題が付きまとってきた。「タワー・オブ・テラーどう?」と友人が笑顔で聞いてくる。まるで秘密警察の尋問のようだ。けれど、私は既にディストピア小説を何本も読んでいた。タワー・オブ・テラーも進化していただろうが、私も成長しているのだ。私はニヒルな笑顔で言う。

 

タワー・オブ・テラーのあの人形、怖いよね」


 一歩踏み込んで造形美術の方に目を向けてみる高等技術である。これを言う人間がまさか「乗ったことがない」なんて思うだろうか? いや、思わない。アトラクション部分の『怖さ』は既に超えた真のヒューマンの言う台詞だ。物理ではなく精神、あくまで精神的な恐怖を説く。何故なら、私は、もうその段階にいないからだ……。
 友人は「え、そう?」と言っていたが、乗ったかどうかには疑問を抱かなかった。銃で撃たれた跡を誤魔化す為に杭で刺すような荒業だが、これも上手くいった。

 私の進化は止まらない。タワー・オブ・テラーは今日も私を脅かし続けているが、完全抗戦の姿勢を見せた私に隙は無い。私は『ディズニー・シー完全攻略ガイド』を購入し、タワー・オブ・テラーの特集ページを読み込んで、どうやらアトラクションが始まる前の段階で、あの謎の怖い人形が消える演出があるという情報を得る。凄い技術だ。これを利用しない手はない。私はすっかり馴染んだタフガイの笑顔で言う。


「あの人形、消えるよね」

  我ながら完璧だ。これは完全に乗った人間の言葉だ。しかも嘘を言っているわけでもない。完全攻略ガイドが嘘を吐くはずがない。何せ校閲さんが入っているのだから、間違っていることはほぼ無いだろう。ここまでくると本当に私は乗ったも同然である。校閲さんが私をタワー・オブ・テラーに『乗せた』のだ。
 友人は私の言葉を深く突っ込まず「あれ何で消えるんだろうね? 不思議だなあ」と言っていた。不思議なものが好きなので、実際に見てみたいが、その先に持っているものが怖くて見られない。どうしてタワー・オブ・テラータワー・オブ・テラーなのか。人形が消えるだけじゃ駄目だったのか。何故……。

 そして、今になっても私はタワー・オブ・テラーに乗ったことがない。既にタワー・オブ・テラーは私の中で膨れ上がり、肉感を持った恐怖の概念になってしまった。
 人形は本当に消えるのか? そもそも人形は本当に怖いのか? いつもは明るい安全な場所で見ているからよく分からないんだ……。チチカカに売っていそうだな、くらいの印象しかない……。私はタワー・オブ・テラーのことを、本当は何も理解していない。

 時々、訳もなく泣き喚きたくなる。私がいけしゃあしゃあと「乗ったことがある」と言えるようになれば、あるいは素直に「怖くて乗れない」と告白出来るようになれば。そうすればさっきのような曖昧な言葉で誤魔化さなくても済むのに。

 タワー・オブ・テラーは呪われたホテルをモチーフにしたアトラクションだという。ゲストはその呪われたホテルに足を踏み入れた不届き者であり、それが原因で恐怖の体験をすることになる。それを聞いた時、思わず乾いた笑いが出た。

 私は乗ってもいないのにタワー・オブ・テラーに呪われているのだ。

 ちなみにボードゲームで嘘を吐くのは得意である。バレても怒られないからだ。ついでにここで告解しておくと、友人とボードゲームをやる度に、私はとりあえずルールがわからない振りをする。親切な友人や先輩がルールを説明してくれるのを真面目に聞けば下準備は完成だ。初心者の振りをすれば体感八割勝てる。人間は、生まれたばかりの子供に刺される自分を想像しない。これからはこのメソッドでボードゲームをやって欲しい。「大丈夫? ルールわからないところある?」と聞かれたらしめたものだ。説明書を読みながら首を傾げ、油断している相手を倒そう。

 だから友人がいないのでは? そうかもしれない。

 というか本当にタワー・オブ・テラーに乗ったことがある人間は存在するんですか? 本当は地球上の誰もあれに乗ったことが無いのでは? 同じように回避してきた人間がいるんじゃないか? 一体、タワー・オブ・テラーとは? 一体……?