無限に増えていくチンジャオロースと愛を語る


 食べるのが好きだ。人生は大変なことが多いので、ご飯を食べている時だけが幸せな時と言っていい。人生なんて爪を剥がされながらたい焼きを食べているようなものだ。(これはたい焼きがとても好きなことを示す文章です)

 

 まだ大学に通っていた頃、某所でアルバイトをしていた。
 朝九時から午後六時までのシフトだったので、丁度お昼ご飯の時間に休憩を挟むスケジュールだった。食べるのが好きだったので、私は休憩時間にはかならず何処かのお店に入って食事を取っていた。(プリパラに異常にハマっていた時期やブレイブルーに異常にハマっていた時期は休憩時間中ずっとゲーセンに走っていたので食事を抜いていた)

 

 その当時、私にはお気に入りの中華料理屋さんがあった。小さいお店だったが店員さんが明るく、何よりチンジャオロースが物凄く美味しかったのである。シャキシャキとした野菜、適度に濃い味付け、とろりとした豚肉……。うっかり笑顔になるような代物だった。おまけにチンジャオロース定食は安かった。学生にとっても優しい値段だ。

 

 私は気に入ったポケモンだけを集中して育てるような人間だった為、次の日もそのお店に行った。チンジャオロースは二日連続で食べても美味しかった。私には「美味しいものを食べると笑顔になる」という絵本の登場人物みたいな特徴があるので、にこにことチンジャオロースを食べていた。
 その時だった。女将さんが店の奥から出てきて私に話しかけてきたのだ。
「随分美味しそうに食べるねえ」
「いやあ、ここのチンジャオロース、凄く美味しいので!」
 そんな会話だけでその日は終わった。会計をしてバイトに戻る。


 変化があったのは翌週のことだった。一週間ぶりに店に行くと、チンジャオロースが多めに盛られてきたのだ。

 素直に嬉しかったのを覚えている。銀色の細い皿にこんもり盛られたチンジャオロースを見て笑う私に、女将さんは「こういうところでねえ、精を付けんといかんよ」と言った。どうやら野良犬のような風情の私を見て、栄養が足りていないように見えたらしい。実際その通りなのでありがたく頂いた。帰りがけに何度もお礼を言った。

 

 あれ? と思ったのは来店回数が五回を数えた辺りの話だった。
 気づけばチンジャオロースは山盛り、というよりオムライスに近い形になってきていた。銀色の細い皿が殆ど見えない。その頼りない玉座の上でチンジャオロースは悠然と私を待っていた。
 女将さんは笑顔で私のことを見ていた。愛を……感じる……。冷や汗を流しつつ、箸を差し入れる。殆どご飯と同量のチンジャオロースを食べるのは、いくら美味しくても苦行だった。私はそんなに沢山食べられる人間でもないのだ。
 それでも食べないわけにはいかなかった。目の前を白く染めながら、どうにか完食したのを覚えている。けれど、私は思った。もうこれ以上は無い。だって皿が見えない。ここまできたらもう白米の上に追いチンジャーをするしかないが、流石にそれはないだろう。女将さんの愛も物理には敵わないわけだ。

 

 ともあれ、それから一月ほどそのお店には行かなかった。別にチンジャオロースが嫌いになったわけじゃないが、流石に……こう……胃が……になったのである。

 

 それでも一月経てば、あの店のチンジャオロースが食べたくなった。あの量を思い出して若干尻込みしたものの、朝食を抜いていけばどうにかなると思った。傾向と対策だ。私は朝食を抜き、バイトをし、思う存分お腹を減らして意気揚々と店に行った。女将さんは「久しぶりねえ、忙しかった?」と言ってくれた。私は以前のようにチンジャオロースを頼み、オムライス型のチンジャオロースを倒すイメトレをし、『時』を待った。
 ややあって、女将さんがチンジャオロースを持ってきてくれた。


 皿が変わっていた。


 銀色の細い皿ではなく、白い陶器の丸い皿に変わっていた。
 油断していた。皿に盛れる量には限界がある。だから、あれ以上は無いと思っていた。愛は物理を超えられないと思っていた。けれど、そんなことはなかった。愛情の受け皿は増築され、チンジャオロースは元の三倍近くになっていた。もう食べられるとか食べられないとかそういう問題じゃないと思った。
 私はそれの三分の二を食べた辺りでギブアップし、会計時に女将さんに謝ってから逃げるように去って行った。

 敗走しながら思った。もうここには来られない。あれだけ美味しいチンジャオロースなのに、もう食べられない。別に自分が悪かったとは思わない。当然ながら女将さんも何も悪くない。むしろ、あんなによくしてくれた人はいなかった。でも、もう駄目だった。一体、何を間違えたんだろう?

 

 愛はたまに悲劇を生む。

 けれど、悲劇はそこで終わらなかった。人間が愛を求める限り、悲劇の幕は上がり続けるのだ。その舞台が、新たに出来た行きつけ、海鮮丼屋さんである。

 その店もまた、バイト先からほど近い小さなお店だった。店内の雰囲気も良く、店主さんは優しそうで、なおかつそこにはワンコインで食べられるワンコイン海鮮丼があった。どういう仕組みになっているのか分からないが、三種類の具材の載った海鮮丼が500円で食べられるのだ。私は海鮮が好きだ。北海道も好きだ。
 海老とマグロとサーモンの載った丼を前にして、私はまたしても笑顔になった。わさびをどかしながら(※この年になってもわさびが食べられないので、誰かわさびが大丈夫になる魔法の薬の情報をください)、笑顔で丼を食べていると、店主さんのお爺さんが私に話しかけてきた。


「やあ、美味しそうに食べるねえ」
「海鮮丼素晴らしすぎます、最高に美味しいです」

 デジャヴュを感じた。けれどここで「ガッデム!!!!!ほっといてくれ!!!!!」と言ったら出禁になってしまう。そのくらいはわかる。出来ればそんなことは言いたくない。店主さんは優しそうな人だし、何より500円丼を失いたくない。
 デジャヴュの影を無視して、翌週もそのお店に行った。店主さんは嬉しそうに私を出迎えてくれ、私はワンコイン丼を注文した。程なくして丼が来た。

 丼の具が4種類になっていた。おかしい、ワンコイン丼は三色丼のはずだ。店主さんの方を見たら、こっちを見て笑っていた。会釈をして食べ始める。美味しかった。多分、ちょっとしたサービスのつもりだったんだろう。私は会計の時にお礼を言って、店主さんの「また来てね」の言葉に笑顔で手を振った。

 次に来た時には、ワンコイン丼の具は五種類になり、その次の来店時にはイクラまで載るようになっていた。「あの、これ、中身が豪華になっているような……」と恐る恐る言ってみると「余ったの載せただけだから気にしないで!今日だけ!」と言われてしまった。
 まずい流れになってきたな、と思った。けれど、これは店主さんの愛だった。「気にしないで食べてって!」と言われると、残すのも悪い気がした。
 この時点でその店に行く頻度は格段に減っていたが、そうすると輪をかけて中身が豪華になり、カニ汁まで付くようになっていった。最早セットメニューだった。
カニ汁の分お支払いしますから!」と流石に言ったものの「今日は余ってるから」と言われればどうしようもなかった。会計はいつまでも500円のままだった。いよいよ店に行きづらくなり、それから三ヵ月ほど、その店に行くのをやめた。

 それでも食欲には勝てない。そこのお店は海鮮も勿論だが、丼の中に入っている沢庵が物凄く美味しいお店だった。他の場所でも海鮮は食べられるが、沢庵の再現は難しかった。それに、これだけ間が空いていればいいだろうという気にもなった。
 店主さんは笑顔で私を迎えてくれて「いやあ、心配してたよ。最近忙しかったの?」と尋ねてきた。適当に誤魔化しながら、ワンコイン丼を頼む。

 

 運ばれてきたのは、豪華な具の入った丼と、普通の味噌汁だった。

カニ汁、今日少なくて、普通の味噌汁でごめんね」

 店主さんが心底申し訳なさそうにそう言った。その日はお客さんが多くて、カニ汁が多く出たようなのだ。無料で私に出せるだけのカニ汁が無かったようなのだ。
 その瞬間、もう駄目だ、と思った。申し訳なさそうに言われたその言葉が致命的だった。本来つかないはずのカニ汁をサービスで貰っていたのに、それが今更普通の味噌汁に変わったところで、どうしてそんなに申し訳なさそうな顔をするのだろう。

 もう駄目だと思った。会計の時に、私は言う。

「大学卒業するので、もうここに来られなくなるかもしれないんです」
「ええ、そうなの? 寂しくなるね」
「今までありがとうございました。美味しかったです」

 店主さんは頑張れと何度も言ってくれて、最後に握手をして別れた。別に大学を卒業するからといってここに来られなくなるわけじゃなかった。そもそもその時には既に単位不足で留年が決まっていた。けれど、その日以来そのお店には行っていない。たまにそのお店を横切る時、もう覚えていないだろう、いやまだ覚えていてくれるはずだ、と勝手な感傷を覚える。けれど、それだけだ。

 

 ところで、私はその店主さんがそれはもう好きだったのである。


 急に何故こんなことを思い出したかというと、最近行きつけのカフェが出来たからで、そこのホットサンドが物凄く美味しいからで、そこの店主さんが、ホットサンドを頼むとサービスで小さなコーヒーゼリーを出してくれるようになったからで、全ては愛で回っている。