生ハムの原木を食べる会を語る

 

 コンビニで生ハムのパック(45g)を買った時、私はとても幸せだった。生ハムは美味しくて口当たりが良くて、ついでに生だからだ。生ハムが好きな理由にその名前がある。私は生きているものが好きなのだ。
 ところで、これを見て欲しい。

https://www.amazon.co.jp/dp/B076H3416P/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mdsGBbFFZ82NH
 生ハムの原木だ。なんと4kgある。約4000gだ。物凄くざっくり計算すると、私がコンビニで買っている生ハムの88.8888889倍ある。つまり、私は生ハム原木を買うと普段の88.8888889倍幸せになれることになる。ということで、生ハムの原木が食べたくなった。私は幸せが好きなのだ。

 ここでは生ハムの原木を買って生ハム原木会をやるにあたっての覚書を書いていこうと思う。

 早速知り合いという知り合いに声をかけ「生ハム原木会」をやろうと唆し、Amazonで生ハム原木を買うと、原木会をやらせてくれる仁義を重んじてそうな先輩の家に送った。ゲラを読みながらLINEを閉じたり開いたりしていると、到着の報告があった。この時点で幸せメーターは振り切れていた。
 これが先輩の撮ってくれた生ハムの写真だ。

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 大きい。バドミントンラケットよりも大きく重いので、人を殺すことも可能である。*1。これはミステリー作家としてとりあえず触れておいただけなので、別に私がすぐに殺意を連想する人間というわけではない。この状態のまま、生ハムを室温に慣らす為に放置する必要がある。本当は3日くらいこうしておくといいらしいのだが、生ハムが届いた日が会の1日前だったので、1日だけの放置にした。LINEで先輩にお願いをしていると「遠隔で爆弾解体してる人の気分だ」とのお言葉を頂いた。確かに、真っ昼間に送られてくる肉塊は爆弾に等しいだろうし、真っ昼間から生ハムを受け取らせる後輩は地雷だ。間違っていない。

 そして、1日の放置を経て、生ハム原木会だ。
 まずはビニールを剥いて、カビに覆われている生ハムをオリーブオイルのついたキッチンペーパーでゴシゴシ磨いていく。必要な工程なのだが、正直4kgの肉塊を磨くのは並大抵のことでなく、この時点で生ハム原木の過酷さに気が付いてしまった。力を入れてゴシゴシ磨いていると手伝ってくれている友人がグロッキーになっていた。肉塊を前にすると、心が壊れてしまうのかもしれない。私は可愛い子犬を拭いているイメージで脳を騙した*2ので、どうにかやり遂げることが出来た。

 そうして磨きあがった生ハム原木がこれだ。

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 なかなかいい具合だ。
 ちなみに、この時はテンションが上がって気が付かなかったのだが、これは置き方を完全に間違えている。冷静に考えたらバランスが悪すぎるのだが、人生のバランスもぶっ壊れているので、物事を冷静に見られないのだ。この状態でナイフを入れたらどう見ても転覆するだろ。
 正しくはこうなる。クジラみたいでいいですね。

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 ともあれ、生ハムが磨き終わったら、あとは食べるだけだ。
 今回の生ハム原木会には10人の精鋭が集まった。これならイカした渋谷区のパーティーっぽくなるはずである。期待に胸が躍る。以前、宅飲み会に4kgのそうめんを持ち込んだ時にはブーイングを食らったものだが、4kgの肉塊の時はみんながはしゃいでいた。小麦粉には無いグルーヴが肉塊にはある! 私達は喜び勇んで生ハム原木にナイフを入れた。
 だが、そこで誤算に気づいた。

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 生ハム原木は固いのだ。
 喜び勇んでナイフを手に取ったものの、正直全く削れなかった。

 作業を見ていた先輩の一人が「生ハム原木って響きはお洒落なのに原木見るとマジで蛮族」と言っていたのだが、本当にそうなのだ。相手は肉塊であり、18か月も吊るされていたハングドミートである。原木が似合うのは山賊くらいのものだろう。
 私は山賊ではなかった。生まれは海の方だった。
 普段は小説を書くかソシャゲをするかしかしていない人間である。そんな人間が人を殺せるだけの硬さの生ハムを削り取れるはずがない。私は殆ど日光に当たらない上に外にも出ないので、どちらかといえば立場が生ハムに近い。(生ハムは日の当たらない蔵に吊るして作られる)
 文字通り歯が立たない有様だったので、原木には「生ハムが生ハムを食べようなんて片腹痛いわ(笑)」と思われていたかもしれない。赦さない。原木は足だけなので腹は無い。二重に赦せない。

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 とはいえ、非力な私が出来ることはあまりなく、結局は滅茶苦茶料理の上手い先輩が生ハムを削いでいくこととなった。手際が良いので、生ハム原木が征服されていく様が写真からも見て取れる。ここで重要なことが分かるのだが生ハム原木は料理が上手く力もある人間でないと手を出せない代物なのだ。あなたがもしブルース・ウィリスチャック・ノリスでないならば、身体を鍛えないといけないかもしれない。

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 ともあれ、完全な他力本願で出来た生ハムは色つやがよく、とても美味しかった。市販のものよりもやや硬く、塩味が強いのだが、とにかく美味しい。原木を買って食べる一番の良さというのは恐らくここにある。ある程度の厚みと硬さがある生ハムを食べる機会はなかなか無いからだ。原木から切り出した生ハムはジャーキーのような弾力があり、塩味が濃いが仄かに肉の甘みがする。みんなで持ち寄ったメロン無花果パンチーズと一緒に食べると信じられないくらい美味しかった。
 生ハムを切り出している時は山賊かもしれないが、みんなで食べ始めるとそこは渋谷区のパーティーであった。クラッカーとミラーボールを用意していなかったことを後悔するくらいだ。
 唯一の後悔といえば、そういったラグジュアリーな場面の写真が殆ど残っていないことである。食べるのに必死だといきなり写真が面倒になる。人間なんてそんなものだ。

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 生ハムだけ食べてるとどうしても飽きてくるので、そういう時は生ハムの油と生ハム本体を使ってペペロンチーノを作るのもいい。まあ、作ったのはさっきから頑張ってくれている料理の上手い先輩なのだが、したり顔で薦めておく。ここまでくるとその先輩の料理ブログのようになっている。
 生ハム原木からは大量の固形の油が取れる。これが料理に活用出来るのだ。やったことはないので憶測で話をするが、チャーハンなんかも美味しいかもしれない。油を直接食べると、生ハム2クリック圏の油の味がする。

 会が終盤に近付いて来る頃には全員が出来上がっており、前後不覚な状態である為生ハムどころじゃなくなってきたのだが、その頃には先輩の捌きっぷりも堂に入っており、生ハムは殆ど解体された。汗を流しながら「生ハムに勝ちたい」と言っていた辺り、肉塊というのは人間の闘争本能を刺激するのかもしれない。

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 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ*3

 それで結局、生ハム原木は私に88.8888889倍の幸福を与えてくれたのか、という話なのだが、とにかく原木から生ハムを切り出す手間を考えた場合、生ハムは買った方が全然いい。今回だって、生ハムを受け取ってくれた先輩や料理をしてくれた先輩が居なければ話にならなかったというのが本音である。原木はそこにあるだけで渋谷区のパーティーピープルにしてくれるマジックアイテムではないのだ。

 だが、原木を見て蛮族だな~と言っていた先輩が終わり際に言った至言がある。それは「生ハム原木はパーティー力が強い」というものだ。
 私たちは普段、日常の文脈に沿って生きている。それをアッパーに引き上げる為には、何かしらの飛び道具が必要なのだ。そういう意味で、生ハム原木はある種の鏑矢である。
 捻りの無い言い方になってしまうけれど、肉塊を前にはしゃぎにはしゃげるというのはやっぱり値千金であって、88.8888889倍とは言わないんだけど、まあ44.444444倍くらいの幸福度はあるのだ。


 

*1:ロアルド・ダール

*2:富田流は爆笑した直後に人を殺せる

*3:大納言公任:滝の水の音が聞こえなくなってずいぶん長い年月が経てしまったが、その評判だけは世の中に流れ伝わり、今日でも聞こえ知られているよ。